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フランスの面白い事実
08/03
フランスの国、歴史、言語についての面白い事実 言語は歴史によって形作られますが、フランスの歴史には、興味深い事実がたくさん含まれています。Superprof では、フランスの文化についてできる限りたくさん知ってもらいたいと考えています。 フランス語にまつわる面白い事実 フランス語を学びたくて仕方ない?アリアンスフランセーズや Superprof のレッスンをもう予約しましたか?フランス語についての面白い事実を、以下に並べてみました。 フランスはロマンス語の一種であり、主にラテン語から進化した言語である。 ユリウス・カエサルがガリアを侵略し、ラテン語が行政言語となる前、ガリア人が話していた言語はガリア語であった。 カール大帝は子供のとき、読むことを学ばなかった。大人になってから学び、識字向上のため学校の設立を推し進めた。 中世には、フランス語には主に二つの方言があり、一つはオック語(「Langue d’Oc」-フランス南部のラングドック=ルシヨン地域圏の名前の由来となった)、もう一つはオイル語(Langue d’Oil)であった。これらの言語名は、それら二つの言語において「はい」を意味した。 フランス語で小説を意味する言葉は「roman」。ラテン語ではなくフランス語(「Roman」とも呼ばれる)で書かれた最初の本で、騎士道と冒険の物語であった。 フランス語と現地の言語の文法と語彙を合わせたフランスのピジン言語は、「クレオール」と呼ばれる。マルティニーク、グアドループ、フランス領ギアナ、アフリカ諸国で話されているクレオールがある。 最初のフランス語辞書は1606年、最初の文法書は1531年ににさかのぼる。 歴史:王国、フランス共和政、帝国と植民地支配 フランク王国 ローマ帝国の崩壊に伴い、ゲルマン民族がヨーロッパ全土に新たな国家を設立しました。その民族の一つが、メロヴィング朝が支配するフランク族でした。フランク王国最初の正式な王はおそらくキルデリク1世でしょう。彼は、メロヴィング朝の伝説上の創設者の息子とされています。キルデリクの息子クロヴィスは496年にカトリックに改宗したことでよく知られます。 メロヴィング朝に続いたのはカロリング王朝で、事実上初のフランス帝国となりました。ただし、当時は帝国とは呼ばれていませんでした。カロリング王朝の下、フランク族はヨーロッパ本土の大部分に力を及ぼし、東はバルト三国、北はデンマークとの国境、南西はスペインを除く全土を支配しました。 フランスを支配した最後の王朝は、ブルモン家でした。987年に即位したカペー家の分家であるブルモン家が、1589年に即位しました。 共和政、総裁政府、統領政府 革命後の1792年に明確な計画があったアメリカとは違い、フランスはよろめきながら民主主義へと進んでいきます。民衆が人民評議会での十分な代表権を求めると同時に、貧困とインフレに対する不満を抱いたことから生じた数々の暴動は、マラーやロベスピエールのような扇動家をリーダーとしたバスティーユ牢獄の襲撃へと急速に展開。それらの扇動家らは、フランス革命中にフランス民衆を駆り立て、自由に反対する人々の迫害を扇りました(「自由に反対する」という曖昧な概念により、ギロチンで多くの人が死刑にされた)。 最初、フランスは立憲君主制を目指していました。ルイ16世をベルサイユ宮殿からパリのルーブルへ移動させ監視を強めましたが、彼は妻のマリー・アントワネットとオーストリアへ脱出しようとして信頼を裏切り、ギロチンにかけられ処刑されました。 その後、総裁政府が設立されますが、ほとんど機能せず。そこで、ナポレオン・ボナパルトが登場し、クーデターを扇動し、3人の連合政治を樹立。第一執政官となります。 最初の帝国 政治的な動きの中で、ナポレオンは選挙を実施。コルシカ出身の若い少将ナポレオン1世を初の正式な皇帝として、フランスを帝国とすることがほぼ満場一致で決定されます(この時点ですでに総裁政府は、イタリア侵略、ベルギーとオランダをの併合に勤しんでいた)。 ナポレオンは膨張主義を継続し、ドイツ南部を併合し、イタリアでも軍事を推し進めることになります。それまで同盟国だったロシアの援助を受け、ナポレオンはスペインを侵略します。 そこで最終的にウェルズリー少将により撃退を強いられる一方、ロシアと、プロイセン率いる対抗同盟により、1814年に敗北することになります。 フランス第二帝政 フランスはまだ目指すべき方向性が定まらず、再び王政が返り咲きます。ルイ16世の弟ルイ18世が立憲君主として即位。しかし、コルシカ島出身のあのナポレオン・ボナパルトがまもなく力を取り戻したことにより、治世が乱れることに。ナポレオンはワーテルローの戦いで破れ、セントヘレナ島に流されました。 その後二度の王制(シャルル10世、ルイ・フィリップ)の後、フランスは共和政に戻ります。ナポレオンの甥であるルイ=ナポレオンが最初のフランス大統領に選出されます。 残念ながらこの新しい体制では、第二期任務に向けた立候補ができなかったため、彼は自らを皇帝であると宣言します。 フランスは今、第五共和政が続いています。 植民地支配の栄枯盛衰 17世紀におきた植民地化の最初の波は、北アメリカ(ケベックとルイジアナを含むヌーベルフランス)、南アメリカ(カリブ海地域、フランス領ギアナ)、そして、インド貿易の中継地とするためのマダガスカル周辺の島々を中心としており、限定的ではありましたがフランスはインドにも入植しました。 戦争と不利な条約の締結が重なり、フランスの植民地は激減しましたが、セーシェルなどはナポレオン戦争後も領有権が保持されました。 総裁政府(ディレクトゥール)と統領政府(コンスル)はどちらも、ヨーロッパ外での領土確保を試みました(特によく知られるのは北アメリカ)。膨張主義の第二の波がナポレオン3世の下で訪れます。フランスは、北アメリカの大部分とベトナムおよびカンボジアを所有します。 脱植民地化 二回のフランス共和政が遂行する中、それらの植民地では不満が高まっていました。第二次世界大戦後ようやく、海外県(グアドループ県やマルティニーク県など)が、正式にフランスの一部となりました。 残りの領土(フランス領ポリネシアなど)では、独立したり、フランス共和国での特別な地位を獲得したりするようになりました。そういった地域では、最初は海外領土、2007年からは半独立の海外共同体の地位を得ています。フランス帝国についての詳細は「フランス植民地帝国」で読むことができます。 言語:フランス語は世界約30カ国以上で話されている フランス語は、すべてのフランス海外県・海外領土で公用語(または、公用語の一つ)として今も話されていますが、旧植民地や領土の多くでは、フランス語が公用語の一つとなっています。例えば、ポンディシェリとシャンデルナゴルのインド地域では、行政言語となっています。実際、20世紀前に敗北した多くの植民地では、今も何らかの形でフランス語が話されています。ケベックとルイジアナ州の一部はその例です。 ヨーロッパのベルギーやスイスの一部などでは、一度(あるいは二度、あるいは何度も)フランスの領土となった地域で今もフランス語が話されています。EU のいくつかのミニ国家でもフランス語がは話されています。 フレンチリビエラ沿い南のコート・ダジュール ストラスブール、欧州連合本部のあるブリュッセル近くのルクセンブルク ピレネー山脈にあるアンドラ(フランス語は公用語ではない) イギリスの一部でも、今だ一部の住民によりフランス語の一種が話されています。イギリスのチャンネル諸島では、ノルマンディーで話されるフランス語の一種が話されています。 学校で教えてくれない、フランスについての豆知識 フランスのモン・サン=ミシェルは、干潮時には歩いて行ける フランスのノルマンディーの海岸で、潮の満ち引きによるとても美しい自然現象が見られます。引き潮のときには何キロにも渡る砂浜が現れ、修道院と町のある小島に歩いて行くことができます。もちろん今は高潮でも、本島とを繋ぐ橋を渡ってモン・サン=ミシェルへ行くことができます。フランス一美しい場所の一つで、ノルマンディー海岸で人気の訪問地となっています。 プログラムできる初の機械はフランスで生まれた コンピューターの進化というとシリコンバレーを想像しがちですが、最初のプログラムは、リヨンの機織り屋のフランス人ジョゼフ・マリー・ジャカールが発明した力織機でした。ジャカールは織物のデザインで知られ、穴の開いた丸いロール紙を使用して、力織機で経糸と緯糸を調整して自動的にパターンを生成する方法を思いつきました。フランスの観光客は、リヨンで織物装飾芸術博物館でオリジナルを見ることができます。 最初のコンピュータプログラムは、ジョージ・ゴードン・バイロンの娘、エイダ・ラブレスが、イギリス人発明家チャールズ・バベッジの解析機関のために書いたものでした。しかもこれには、一切電気が使われていません。 […]