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スペイン語ヒットソング10選
18/06
スペイン語ヒットソング10選 スペイン語の会話能力に関係なく、スペインの音楽が聞こえてくると、そのキャッチーなメロディに合わせて自然とハミングやダンスをしてしまいます。 中南米やスペインのラテン音楽を中心としたスペインやヒスパニック系の音楽の人気は高まっています。 この記事では、スペイン語の学習に役立つスペインの有名なヒット曲10作を紹介します。ぜひ、SpotifyやiTunesのプレイリストに追加してください。 Por qué te vas (ジャネット) タイトルを日本語に直訳すると「どうしてあなたは去っていくの?」という意味になる1974年に発表された「Por qué te vas」は、スペインミュージックを代表する象徴的な歌です。 この曲はジャネットが歌い、映画『カラスの飼育』で有名になりました。ロマンチックだけど悲しい歌です。 「Por qué te vas」はとても人気がある曲で、今まで下記のシンガーたちがカバーしてきました。 ホセ・ルイス・ペラレ(1987年) アタック77 (1992年) パト・フ(1996年) マスターボーイ(1999年) ジャヴィア・アルバレジ(2001年) サビーヌ・パチュレル (2002年) グローバス(2006年) スアレス (2010年) マルケス (2014年) ホット・バンディトス (2016年) ルセロ (2017年) この曲はスローでスペイン語の初心者でも聞き取りやすいため、スペイン語の授業で耳にしたことがある人もいるかもしれません。 スペインについてもっと知りたい方は、「スペインについての基礎知識」をご覧ください。 María(リッキー・マーティン) ウー、ドース、トレー、ウンパシト・パダテ・マリア リッキー・マーティンの「マリア」は、もちろんご存知ですね。1995年に発表されたこの曲は彼にとって初めての世界的ヒット曲で、全英チャートで6位にランクインしました。 歌詞は深い内容ではありませんが、サビは頭に残ります。 ウー、ドース、トレー、 ウンパシト・パダテ・マリア ウー、ドース、トレー、 ウンパシト・パラー 2019年の現在でも、この曲を聴くと踊りださずにいられません!さすが、リッキー・マーティン! リッキー・マーティンは現在でもスペイン語のヒット曲を精力的に送り出しています。 Hijo de la Luna (メカノ) 「Hijo de la […]
スペイン語のTV番組の魅力
18/06
スペインで見逃せない番組 「希望はドミノのようなものよ。ひとつ倒れると、残りも倒れ出すの」 トーキョー『ペーパーハウス』 契約者数1200万人のNetflixは、米国ではテレビやYouTubeよりも視聴者数が多い映像配信会社です。 マドリードのダンススクールを舞台とした『一歩前進/One Step Forward』シリーズ以降、数多くのスペインドラマが国外に進出しています。 Netflixでは、スペインドラマの他にも『ブラック・ミラー』、『ヴァンパイヤ・ダイアリーズ』、『ダウントン・アビー』をはじめとする多くのドラマシリーズの権利を買い取っています。Netflixのストリーミング配信サービスやTVショーのおかげで、新しいショー、古典作品、コメディ、アニメ、短編作品を視聴して、ファイナルシーズンの放送前に番組をチェックできます。 この記事では、スペイン語を学ぶためにNetflixで今週末にまとめて視聴できる面白いスペインドラマをご紹介します。視聴者の好みは様々ですが、ここではコメディ、ゴールデンタイムの番組、TVショーを含めた様々なタイプを含めるようにしました。 La Casa de Papel(邦題:ペーパーハウス) アレックス・ピナが監督した 『ペーパーハウス』は、Netflixのライブラリに追加される前にスペインのテレビ局アンテナ3で放映されました。 ストーリー 教授はマドリードの王立造幣局をターゲットとした空前絶後の強盗計画を実行するために、失うもののない8名を雇います。 目的は、造幣局に侵入して50ユーロ紙幣で24億ユーロを印刷することです。難関は、11日以内に実行しなければならないということと、人質を一切傷つけずに成功させなくてはならないという条件です。教授は外から計画を指揮します。 一味は人からは金を盗まず、誰も殺さないという強いモットーがあります。彼らはグアンタナモ湾収容キャンプの囚人のような赤のつなぎと、アノニマス・グループのようなダリのマスクを着用しています。 キャスト 教授(セルジオ・マルキナ/サルバドール・マーティン)演:アルヴァロ・モルテ トーキョー(シレーネ・オリヴェイラ)演:ウルスラ・コルベロ ベルリン(アンドレス・デ・フォノリョサ)演:ペドロ・アロンソ ナイロビ(アガタ・ヒメネス)/演アルバ・フローレス リオ(アニバル・コルテス)/演:ミゲル・エラン デンバー(ダニエル・ラモス)/演:ハイメ・ロレンテ ストックホルム(モニカ・ガスタンビデ)/演:エステル・アセボ モスクワ(アグスティン・ラモス)/演:パコ・トウス ヘルシンキ(ヤシン・ダサエフ)/演:ダルコ・ペリッチ オセロ(ラドコ・ドラギッチ)/演:ロベルト・ガルシア ラケル・ムリージョ刑事  /演:イジアル・イトゥーニョ 感想 プロットは少し単調ですが、すぐにサスペンスに引き込まれます。登場人物は全員が個性的で魅力があります。エピソードを通して、登場人物の背景がわかってきます。特に、オセロとヘルシンキについてのストーリーの掘り下げは秀逸です。 シーズン3などんな展開になるでしょうか。 スペインについては、「スペインについての基礎知識」もご覧ください。 Las Chicas del Cable(邦題:ケーブル・ガールズ) ラモン・カンポス原作、ジェマ・R・ネイラ制作の『ケーブル・ガールズ』シリーズは、Netflixで視聴できます。 ストーリー 1928年のマドリード、4人の女性が電話会社の交換手に採用されました。それぞれが家庭の事情を抱え、また勤務している最先端の職場は男性に支配されていました。このシリーズでは、女性たちは独立を勝ち取ろうと格闘します。ドラマでは強く独立心旺盛な女性として登場人物を描いています。 彼女たちは家庭内暴力から逃れるための離婚や夫からの合意なしに銀行から金を引き出すために奮闘します。 『ケーブル・ガールズ』では女性たちの権利のための闘いにおける光明がテーマになっています。 キャスト アルバ・ロメロ・メンデス(別名リディア ブランカ・スアレス)/演:ブランカ・スアレス カルロタ・ロドリゲス・デ・セニロサ /演:アナ・フェルナンデス アンヘレス・ヴィダル /演:マギー・シバントス マルガ・スアレス /演:ナディア・デ・サンティアゴ サラ・ミラン(別名オスカル・ルイス)/演:アナ・マリア・ポルボローサ フランシス・ゴメス /演:ヨン・ゴンザレス カルロス・シフエンテス […]
スペインの著名人
18/06
スペインで最も著名な人物 「完璧をおそれるな。完璧になんてなれないのだから」サルバドール・ダリ 人口4600万人のスペインは、多くの著名人を輩出しています。スペイン語を学習中の人は、同国の歴史と文化についても学ぶべきことがあります。 また、スペインの首相、ナショナリズム(プリモ・デ・リベラ)、君主制、ガリシア語、バスク語、カタルーニャ語などスペインで使われているスペイン語以外の言語についても学習していきましょう。 この記事では、スペインの著名人をとりあげます。スポーツ選手から映画スターまで、スペインは多くの有名人の生誕地です。 ラファエル・ナダル:クレーコートの絶対王者 テニス愛好家で、「クレーコートの絶対王者」ラファエル・ナダルの名を知らない人はいないでしょう。 1986年にマヨルカ島で生まれたラファエル・ナダルは、スペイン歴代最高のテニス選手です。2001年にプロへ転向してから、彼はグランドスラム優勝18回、2005年から2018年の間で全仏オープン優勝12回を達成した唯一の選手です。 彼の偉業はこれだけではありません。 史上7人目となるキャリア・グランドスラム(同年で4大国際大会優勝)達成 2018年の全仏オープンで86勝2敗の記録を達成 史上最年少での同年での4大国際大会優勝 10年連続で4大国際大会優勝経験を持つ唯一の選手 この記録は今後も続いていくでしょう。 数々の偉業の中でも特に印象深いことは、2年間にわたる怪我による不調の後、2017年8月に再び世界ランキング1位に返り咲いたことです。 スペインについて興味がある方は、「スペインに関する基礎知識」もご覧ください。 ペネロペ・クルス:スペインの宝石 1974年生まれのペネロペ・クルスは、スペイン人女優、モデル、デザイナーとして活躍しています。1992年にその素質を発掘され、スペインとハリウッド両方で女優業を続けました。 彼女は2009年に『それでも恋するバルセロナ』でスペイン人女優として初のオスカーを獲得しました。またロサンゼルスのハリウッド・ウォーク・オブ・フェームで星型のプレートを残した初めてのスペイン人女優でもあります。 ペネロペ・クルスは、その慈善活動でも有名で、マザーテレサと一緒にウガンダやインドでボランティア活動に従事しました。『ハイロー・カントリー』での彼女のギャラは、マザーテレサの慈善事業に寄付されました。 「スペインのTV番組」もご覧ください! サルバドール・ダリ:スペインが生んだ奇才 『ゲルニカ』で有名なパブロ・ピカソ、フランシスコ・デ・ゴヤ、ディエゴ・ベラスケス、ジョアンなど、スペインからは多くの偉大な画家が輩出されていますが、サルバドール・ダリも、これらの巨匠のひとりです。 画家、彫刻家、作家として、サルバドール・ダリはシュルレアリスム(超現実主義)運動の先陣を切りました。彼は1904年にカタルーニャのフィゲーラスに生まれ、1929年にシュルレアリスムに出会うまでは様々な手法に挑戦していました。 詩人フェデリコ・ガルシーア・ロルカやメキシコ人監督ルイス・ブニュエルの友人として、彼は「偏執狂的批判的」手法を磨くためにジョアン・ミロのアドバイスに従いパリに渡りました。その後、彼は問題が多い人物として、グループから除名されています。 彼はパリに亡命してスペイン内戦(1936~1939年)の戦禍を逃れ、第二次世界大戦中はニューヨークに渡りました。ダリは米国で大金を稼いだ後にスペインに帰国するとルネサンス絵画に傾倒しました。 カルロス・ルイス・サフォン:スペインの偉大な作家 1964年にバルセロナに生まれたサフォンは、14歳の時に最初の小説を書きました。デビュー作『El Príncipe de la Niebla(邦題:霧の王子)』は、彼が19歳の時に出版されました。 彼の代表作『Sombra del Viento(邦題:風の影)』は多くの賞を獲得し、2009年に世界で5番目に売れたフィクション小説となりました。 現在、彼はロサンゼルスで小説や脚本を執筆しています。 ロシオ・フラード:スペイン歌謡界のビッグスター スペイン人歌手ロシオ(1946~2006年)はスペインで「la más grande(最も偉大なるもの)」と呼ばれていました。 フラメンコ歌手としてデビューした後、彼女はスペインや南米の映画に出演しました。 国外では、彼女は1985年にホワイトハウスでロナルド・レーガンの前で歌を披露したことで有名です。 スペイン人の歌手については、「スペインヒットチャート」もご覧ください。 ペドロ・アルモドバル:スペインの名匠 著名なスペイン人映画監督ペドロ・アルモドバルは、若い時から映画監督になることを夢見ていました。彼が18歳の時、独裁政権のもとで国立映画学校が閉鎖されましたが、ペドロはくじけずに自分のスーパー8カメラで映画を撮り続けました。 彼の映画作品にリアリティを与え成功に導いたのは、スペイン中流階級とその人生についての彼の知識でした。彼は新聞への寄稿やフォトノベルの創作にも携わりました。 それから、彼は『ハイヒール』、『キカ』、『オール・アバウト・マイ・マザー』、『ボルベール(帰郷)』などの映画作品を監督し、その独自なスタイルで有名となり、批評家からも絶賛されました。 ドロレス・イバルリ:スペイン共産党のヒロイン 「ラ・パショナリア(情熱の花)」としても知られるドロレス・イバルリは、バスク出身のスペイン共産党の女性政治家です。彼女は「奴らを通すな!」というスローガンで有名です。彼女はスペイン内戦中にラジオでこのことばを口にしました。現在、このスローガンは世界中で反ファシストのシンボルとして使われています。 また、彼女は1942年から1960年までスペイン共産党(PCE)の書記長を、1960年から1989年までは党議長を務めました。 フランコの死後、民主主義の復活により、ドロレス・イバルリは下院議員に選ばれました。 彼女は民主主義の象徴です。 アンドレス・イニエスタ:スペインの代表的なサッカー選手 スペインの有名人と言えば、サッカー選手が思い浮かぶでしょう。 1984年生まれのアンドレス・イニエスタは著名なサッカー選手です。彼は12歳の時にFCバルセロナからスカウトされ、チームのミッドフィルダーになりました。クラブでは4度のチャンピオンリーグ、9回のラ・リーガ(スペインのプロサッカーリーグ)、2度のクラブ・ワールドカップの優勝を経験しました。 […]
一目でわかるスペインの歴史
18/06
スペインの歴史 カトリック君主制やスペイン内戦など、スペインの歴史は波乱に富んでいます。アンダルシアからカンタブリアまで、イベリア半島は現在の形になるまで幾多もの試練を乗り越えてきました。 神聖ローマ帝国の時代にスペインの存在がなければ、ヨーロッパは現在のような体制になっていなかったでしょう。 この記事では、古代のフェニキア人による植民地化から、最近までのフランコの独裁政権と、その間の重要な出来事について、スペインの歴史をまとめていきます。 古代スペイン:ローマ属州ヒスパニア 前期旧石器時代、スペインにはネアンデルタール人が住んでいましたが、紀元前2千年紀になると、フェニキア人やギリシャ人が入植してきました。この時期、スペイン北部にはケルト人が住んでいました。 紀元前3世紀になると、カルタゴ人がローマとのポエニ戦争で攻め込まれ、領地を拡大しました。ここで、ハミルカル・バルカがバルセロナを設立しました。 彼はローマ軍に敗れましたが、息子のハンニバルが舵を取り、紀元前219年にサグントを奪還し、第二次ポエニ戦争に突入しました。ローマはこの戦争と続く第三次ポエニ戦争にも勝利して、紀元前206年にスペインにイタリカという都市をつくりました。 当時ヒスパニアと呼ばれていたスペインは、多数の土着民を除いてはローマ人ばかりでした。カエサル・アウグストウスが知事に任命される前の紀元前77年に、ポンペイウスがヒスパニアの統治を任されました。 紀元前19年にスペインは統一され、ローマの属州となりました。この広大な領地は、特に大きな問題もなく統治され、史学者により地図に掲載され研究の対象となりました。 5世紀には、ローマ帝国はゴート族の脅威にさらされることとなります。西ゴート族は、415年に最初にスペインを征服しました。西ゴート族は定期的にローマ軍と衝突を繰り返しました。 475年に、西ゴート国王エウイックが、和平を望むローマからガリアの一部を譲り受けました。これと476年のラヴェンナの陥落が、ローマ帝国の衰退につながりました。 古代の終末期までに、スペインは西ゴート族の規制下に置かれ、異教徒がイベリアの領地を支配しました。 詳細は、「スペインについての基礎知識」をご覧ください。   イスラム帝国とカトリック勢力から構成されたスペイン中世 477年、西ゴート王国は、スペインを手中に収めました。彼らの戦略は戦争を基本としていましたが、スペインを占領していた時代には一定の治安を提供しました。   6世紀初頭には、西ゴート族はクロビスによりガリア南部から追いやられ、スペインに集中することになりました。554年、西ゴート王国はスペイン南部をビザンツ帝国に譲り渡しました。 ゴート族は、アリウス派を信奉していました。アリウス派は、イエスは神性を備えた人間で一種の半神であると信じている点で、キリスト教と大きく異なりました。587年、西ゴート王レカレド1世はアリウス派を捨て、キリスト教に改宗しました。 654年は、西ゴート王国にとって重大な年でした。西ゴート王国初の法律であるリベル法典が公布されたのです。 西ゴート帝国はサラセン人に敗北した後、711年に滅亡しました。これはスペイン王国が独立した時期であり、この独立は1474年まで続きました。 イスラム勢力のウマイヤ朝の侵攻は732年のトゥール・ポワティエ間の戦いで、カール・マルテルにくい止められたことで終わり、ウマイヤ朝はスペインに定住することにしました。 最初のイスラム帝国は、756年にアブド・アッラフマーン1世におってコルドバに建てられました。476年に西ゴート王国に占領されたナバラ王国(首都パンプローナ)は、8世紀にはムーア人が支配し、それから778年にシャルルマーニョにより追いやられました。 スペインにおけるレコンキスタ(国土回復運動)は、アルフォンソ3世により開始され、868年と878年にそれぞれポルトとコインブラを奪還した後、カスティーリャ伯ディエゴ・ロドリゲス・ポルセロスなどの子孫が後を継ぎました。 しかし、アブド・アッラフマーン3世がカリフとして即位すると、941年にサラマンカをイスラム勢力のもとに奪還すると、985年にはバルセロナ、997年にはサンティアゴ・デ・コンポステーラも略奪しました。サンティアゴ・デ・コンポステーラは1022年にアル=マンスールにより滅ぼされました。 1031年、フェルナンド1世(カスティーリャ王)はレオンを併合して、1055年にイスラム帝国からのレコンキスタを開始しました。1072年には、アルフォンソ6世がレオン王国の王となり、その後に征服や継承によりトレドとガリシアの王としても即位しました。こうして、スペイン王国は再結成の道をゆっくりと進んでいきました。 アルフォンソ6世はロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(通称エル・シッド)に1094年から5年間、バレンシアの統治を任せました。1102年にはアルモラビデがこの都市を再び奪い、翌年にアル=アンダルスを再統合しました。 12世紀のイスラム勢力の勝利としては、ウクロス(1108年)、サラゴサ(1111年)、およびバルセロナ(1114年)の占領が有名です。 1118年以降、キリスト教徒たちは再び領土の奪取を開始します。1128年にはポルトガルが独立しましたが、最初の王アルフォンソ1世が即位したのは1139年になってからでした。 13世紀には、イスラム勢力とキリスト教徒は定期的に対戦しましたが、カスティーリャとアラゴン王国は、下記の地域で勝利しました。 マヨルカ島(1229年) イビザ(1235年) コルドバ(1236年) バレンシア(1238年) ハエン(1246年) セビリア(1248年) ムルシア(1265年) シチリア(1282年) スペイン中世は、カスティーリャ女王イサベル1世と史実に名高いアラゴン王フェルディナンドを頭首とするカトリック教徒の完全勝利で幕を閉じました。 スペイン語を上達したい方には、スペインの人気TV番組の視聴をお勧めします。   植民地化と退廃に満ちたスペイン近代史 1492年はレコンキスタが完了した年であると同時に、カスティーリャとアラゴン王国がクリストファー・コロンブスの遠征資金を出した年でもありました。彼はその年末に、イスパニョーラ島に上陸しました。   スペイン帝国は拡大を続け、黄金期に突入しました。1494年、スペインとポルトガルはトルデシリャス条約に署名して、新世界をふたつに分割しました。 同年、カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルディナンドは、ローマ教皇アレクサンドル6世から、カトリック両王の称号を授けられました。イサベルは長期にわたる実り多い治世の後、「狂女」と呼ばれ幽閉されることになるカスティーリャ女王フアナを残して1504年に死去し、フェルディナンドが王国を支配しました。 フェルディナンドが1516年に逝去すると、ハプスブルク家のカルロス1世がスペインに入国しました。エルナン・コルテスがメキシコに上陸した1519年に神聖ローマ帝国の皇帝が亡くなり、カルロス1世はローマ皇帝カール5世になりました。 翌年、スペイン人は現地の住民たちによる大規模な反乱の後、アステカの首都であるテノチティトランを去りました。これにより、スペイン人はアステカの住民に対する憎悪を募らせました。 アステカ人を懐柔できなければ武力で従わせようと、1521年にコルテスはテノチティトランを包囲しました。スペインへの帰国後、コルテスは現地の住民を虐殺した英雄として迎えられました。 カール5世の統治期間には、下記のような重要な事件が起こっています。 カール5世とフランスのフランソワ1世との確執 カール5世とヘンリー8世との対立と同盟 カール5世とポルトガル王女イサベルとの結婚による領地拡大 教会大分裂中の、対立教皇クレメンス7世への土地の譲渡 […]