アカデミック 言語 音楽 ヘルス&フィットネス アート・趣味 職業能力開発
シェア

有名な物理学者

作成者 Atsushi、公開日 01/07/2019 Blog > アカデミック > 物理学 > 有名な物理学者とその発見

本稿を書く時、悩ましい問題に直面しました。どのような順番でリストすればよいか、という点です。

年代順に、初期の頃から順にリストするか、それとも逆に、存命中の物理学者から初めて過去に遡るか。

とはいえ、どれだけさかのぼって行けばいいのでしょうか…その答えを求めようとすると、リストが果てしなく続くことになりかねません!

そこで、量子物理学、理論物理学、天体物理学といったように、研究分野を絞った方がよいでしょうか。これらの分野で名をはせた物理学者は著しい功績を残したので、読んでいて面白いのではないかと思ったからです。

物理学(Physics)は、ギリシャ語の「自然の知識」をそのまま訳した言葉です。

この物理学は非常に広範な分野にまたがるため、どのようにして23の分野のみを選択するか、悩ましいところです。考えは続きます…

日本の物理学者だけを取り上げてみるべきでしょうか?それだけでも数多くいます。それでは、外国の科学者や宇宙論者が行った、他の分野の驚くべき大発見は放っておいてよいものでしょうか?

加えて、科学界には国境や愛国心といった概念が入り込みません。国別にリストするのは、科学者たちが大切にしている精神に反してしまうのではないかと少し心配です。

悩みはつきませんが、記事の書き方として、腹を決めました。物理学か他の科学の分野かを問わず、あまり光が当てられない特定のグループの科学者を順にリストしていくことにします。

ニュートンの運動の第一法則(慣性の法則)を当てはめて、そのまま世界を形作った傑出した人物を要約形式で順に見ていくことにしましょう。

有名な女性物理学者

マリ・キュリー(キュリー夫人)はこの科学者グループの中の紅一点です。Source:Pixabay Credit: WikiImages

物理学で名をはせた女性は、さまざまな理由で稀有な存在です。それでも、あらゆる分野で道を切り開いた先駆者がいます。キュリー夫人がその例で、彼女の知識の探求はとどまるところを知りませんでした。

歴史上の女性物理学者の栄えあるトップバッターとして、キュリー夫人を選びました。

歴史上の女性物理学者

キュリー夫人(Marie Curie)は、ノーベル賞を受賞した最初の女性であるだけでなく、栄えある同賞を2度も受賞した唯一の女性です。

キュリー夫人は2つの元素を発見し命名し、化学の分野で貢献したことで有名ですが、1903年にキュリー夫人とその夫、およびアンリ・ベクレル(Henri Becquerel)と共同で授与された最初のノーベル物理学賞は、その放射線現象の研究に関して贈られたものでした。

彼女は当初受賞対象者から漏れていましたが、スウェーデンの数学者ヨースタ・ミッタク=レフラー(Magnus Mittag-Leffler)がキュリー夫人の夫、ピエール・キュリー(Pierre Curie)に彼女が漏れることを伝え、次にピエールがノーベル委員会にその判断の誤りを指摘したのです。

それでも、キュリー夫妻は研究に没頭していたので、1905年になるまでスウェーデンへ足を運ぶことはありませんでした。同賞を受賞するには出席とスピーチを行うことが義務付けられていたからです。

今日でも、キュリー夫人は史上最高の科学的精神を体現する一人として尊敬されています。

アマーリエ・エミー・ネーター(Amalie Emmy Noether) – 1882年3月~1935年4月

主に数学者として知られるユダヤ系ドイツ人のエミーは、筆を取るごとに理論物理学の分野で著しい貢献をしました。

抽象代数学の先駆者であった彼女は、女性は知識を追求するべきではないという古い考えに頑なに抵抗しました。ナチスドイツで教鞭を取ることを禁止されると、地下に潜伏し、学生に熱心に教育を施し、物理学の発展に尽力し続けました。

ネーターの定理は対称性と保存則の関係を説明しています。

当時の多くの著名な物理学者は、ネーターを数学の歴史上最も重要な女性と位置付けていました。その見方は今日もなお健在です。

数学は物理学における唯一無二の重要な概念です…

エミー・ネーターは数学の歴史の中で最も重要な女性として今でも尊敬されています。ソース:Pixabay Credit: Geralt

呉健雄(ご・けんゆう) – 1912年5月~1997年2月

中国のキュリー夫人、物理学のファーストレディー、さらには核研究の女王とも称される呉健雄の研究には、ガス拡散によるマンガンの分離とマンハッタン計画が含まれます。

けれども彼女は、パリティ保存則と矛盾する呉実験(パリティの非保存を初めて確認した実験)を行ったことで最もよく知られています。

その発見に関するノーベル賞は彼女の同僚が受賞することになりましたが、彼女は物理学で史上初のウルフ賞を受賞しました。

さらに彼女は同賞を受賞した唯一の女性です!

マリア・ゲッパート=メイヤー(Maria Goeppert Mayer) – 1906年6月~1972年2月

理論物理学者であるマリア・ゲッパート=メイヤーは、ノーベル賞を受賞した二人目の女性で、原子核の殻模型(シェルモデル)で有名です。

彼女はまた、原子による2光子吸収に関する卒業論文を発表したことで記憶されています。発表した当時は証明することが困難でしたが、レーザーの出現で、容易に実証することができるようになりました。

今日、ゲッパート=メイヤー単位(略してGM)は、2光子吸収の断面積の単位を表しています。

これらの発見をさらにひも解きたい方は、数学や物理学の先生を雇うことを検討してみてください。

リーゼ・マイトナー(Lise Meitner) – 1878年11月~1968年10月

マイトナーは核分裂の発見に一石を投じたことで有名ですが、ノーベル委員会からは冷遇されていました。共同発見に対するノーベル賞は、長年の共同研究者に対してのみ贈られ、彼女に贈られることはなかったからです。

ドイツ出身の彼女は、カイザー・ヴィルヘルム物理学研究所の最初の女性教授兼学科長を務めていました。ナチスの台頭に伴い、職務から追われることにはなりましたが。

彼女は最終的にスウェーデンに逃亡し、そこで終の棲家を得ました。

彼女たちが打ち立てた素晴らしい精神は、今日の他の女性物理学者たちにも受け継がれています。次の表から、彼女たちの功績を垣間見ることができます。

物理学・数学の先生を探してみてください。

今日の女性物理学者

ジョスリン・ベル・バーネル天体物理学者最初にパルサーを観察した人
サンドラ・フェイバー天体物理学者銀河の進化の分野で先駆的研究
ファビオラ・ジャノッティ素粒子物理学者CERN事務局長
ジョアン・ファインマン天体物理学者太陽風の粒子と場の研究。オーロラの起源も発見
レネ・ハウ量子物理学者光線をゆっくりと、そして最終的に止めることに成功

有名な男性物理学者

物理学者は圧倒的に男性が占めているため、どの功績をこの記事でハイライトするかを決めるのは非常に困難です。なぜなら、どの功績も非常に重要だからです。

ここでは、アイザック・ニュートン、アルバート・アインシュタイン、スティーブン・ホーキングといった誰もが知っている偉大な物理学者をことさら取り上げることはしません。その偉大な功績により、歴史に名を残した人たちを取り上げます。

ニールス・ボーア(Niels Bohr)(1885年10月~1962年11月)は、原子の構造と量子論を理解するための基礎研究を行いましたが、その名を歴史にとどめたのは、彼の相補性理論のおかげです。

成功したのは彼の父と弟も科学者だったからではありません。まだ大学に在籍していた若きニールスは、試験装置を自作することによって液体の表面張力を測定する方法を見つけたのです(そしてそれに対して賞を受賞しました)!

今日、コペンハーゲンのニールス・ボーア研究所は、とりわけ生物物理学、素粒子物理学、量子力学、ナノテクノロジーなどの分野の研究を奨励しています。

この物理学用語集で、科学用語の意義を学びましょう!

多くの物理学者がマンハッタン計画に取り組み、最初の核兵器の製造を支援しました。ソース:Pixabay Credit: Wikimedia

マックス・プランク(Max Planck)(1858年4月~1947年10月)は、場の量子論を主張したことで1918年にノーベル物理学賞を受賞しました。

プランクは学識が高い家柄出身でしたが、彼の興味が最初に向かったのは科学よりも神学でした。彼の高校の先生、ヘルマン・ミュラーは天文学、力学と数学について彼を指導することで、プランクの好奇心と生涯にわたる科学への愛に火を灯しました。

今日、さまざまな分野を研究する83以上の科学機関が彼の名前を冠しています。

ポール・ディラック(Paul Dirac)(1902年8月~1984年10月)は、量子力学と量子電磁力学の基礎研究で、物理学会の注目を早い段階から集めていました。

けれども、彼の名前が永遠に残ることになったのは、ディラック方程式のおかげです。それを通して、フェルミ粒子の動きと、反物質の存在を理解することができました(反物質が存在すると仮定されてはいませんでしたが)。

彼はイギリスのブリストルのごく一般的な家庭で生まれ、科学とは無縁の家庭で育ちました。それでも彼はこの道を志し、奨学金を得てケンブリッジ大学に入学しました。大学では数学を勉強し、一般相対性理論に情熱を注ぎました。

死後、英国物理学会は、彼の理論物理学への類まれな貢献を讃え、ポール・ディラックメダルを創設しました。

その賞を最初に受け取ったのは、スティーブン・ホーキング、ジョン・スチュワート・ベルとロジャー・ペンローズの3名でした。なんとも感慨深いですね!

リチャード・P・ファインマン(Richard Feynman)(1918年5月~1988年2月)は、量子コンピューティングの分野を開拓し、ナノテクノロジーの概念を打ち立てました。

ファインマンの父親は科学に関わってはいませんでした。セールスマネージャーだった父親は、息子に何でも質問するように促しました。好奇心が育まれた子供時代には、自宅の実験室でラジオをいじくり、さらには住宅用警報システムまで構築してしまいました。

9才年下の妹は、科学の道を志すのを母親から遮られました。それが当時の一般的な受け止め方だったのです。それにもかかわらず、兄妹は非常に仲がよく、ジョアン・ファインマンは兄の指導を通して有名な天体物理学者になりました(上の表を見てください)。

次の高名な物理学者(そして他の何人か)と一緒に、リチャードはマンハッタン計画に取り組みました。

エンリコ・フェルミ(Enrico Fermi(1901年9月~1954年11月)

彼は物事のバランスを取るのに非常に長けた人でした。

実験物理学に加えて、理論物理学も同時に修め、いとも簡単にどんな理論をも充足させるような方程式を作り出し、研究室に足を運んではそれを証明してみせました。

ローマで生まれたエンリコは3人兄弟の末っ子で、兄の背中を絶えず追っていました。兄弟は物を作る情熱を共有し、ある時は電気モーターまでも自作してしまいました。

そして、市場で偶然発見した本から、若きフェルミは物理学に魅了され、友人のエンリコ・ペルシコと共に実験を繰り返しました。

数年後、アインシュタインの相対性理論の基礎原理の方程式の中に、膨大な量の潜在的な原子力エネルギーを生み出す部分があると指摘しました。

フェルミは今日、原子力の父、原爆の設計者とされています。

彼はまたニュートリノを同定・命名し、理論物理学者ヴォルフガング・パウリの排他律を解釈した後、自身の名前を冠した粒子、フェルミオンの発見でさらなる栄誉にあずかりました。

自然とマンハッタン計画ではそのような才能が必要となり、フェルミはそれに参加することにしました。

彼は第二次世界大戦で使われた原爆を造るのに極めて重要な貢献をしましたが、犠牲者の規模が彼に重くのしかかりました。

後に彼は水素爆弾を製造することに反対して運動を展開しましたが、その懇願は受け入れられることはありませんでした。

揺るぎない倫理観と結びついた彼のような知性が、今日科学界で何よりも必要とされています。

幸い、そういった物理学者は今なお健在で、さらに次世代の物理学の探検家を育んでいます。

エドワード・ヴィッテン理論物理学者弦理論、量子論、その他の数理物理学の分野の研究
スティーブン・ワインバーグ理論物理学者弱い力と電磁気力を統合
ロジャー・ペンローズ数理物理学者物理学と意識の関係を探ったことで有名
アラングース理論物理学者、宇宙物理学者宇宙のインフレーション理論の先駆者
ピーター・ヒッグス理論物理学者素粒子の理解、ヒッグス粒子は彼の名前を冠しています

そのような科学者になりたいと思いませんか?

シェア

最も読まれている記事
この記事は役に立ちましたか?

役に立つ情報がありませんでしたか?次はもっと良くなるように気をつけます!充分です!他に何かありますか?ありがとうございます!質問があればコメント欄に記入してください!お役に立てて良かったです :slightly_smiling_face: (最初に投票する)
Loading...
avatar