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フランスについての面白い事実

作成者 Nana、公開日 15/03/2019 Blog > 言語 > フランス語 > フランスの10の事実

フランス語を学ぶため、レッスンを受けていますか?それとも独学していますか?バケットとベレー帽が生まれた魅力ある国、フランス。その国についての面白い事実を、大公開しています!今回、Superprof ではフランスについての知られざる面白い事実10選をご紹介します。

1.フランスの真ん中には火山がある

フランスの中央は、古い山脈からなる中央高地が占めています。侵食が進み、名前もつかないほどの山地もあるほど。ローヌの谷がこの地とアルプスとを隔てています。アルプスやピレネー山脈よりも古く、中にはかつて活火山であった山もあります。しかし、ご心配なく。最後に噴火したのは、文字の発明や、鉄が精錬されるよりずっと前の紀元前4040のことです。

 

フランスの山中央高地は、死火山からなるフランスの山脈。写真提供:alpha du centaure(Visualhunt.com)

2.ローマ人による侵略の前、フランスで話されていた言葉はガリア語だった

ユリウス・カエサルが回想録で言及し、ルネ・ゴシニやアルベール・ユデルゾが漫画にも描いていますが、紀元前58~50年にローマ人がガリアと呼ばれる領土を侵略します。それにより、今フランスとなっている全エリアを征服しました(全てかというと、そうではなく、ある小さな村だけは征服されませんでした)。そこに住んでいたのはケルト人で、彼らはイギリスとアイルランドのケルト人と遠縁関係にありました。よって、ガリア人はイギリスとアイルランドのケルト人と似た神を信仰し、似た言葉 – ガリア語を話しました。しかし、ガリア語はすでに、ブリトン語やウェールズ語、 コーンウォール語と似た独自の言語となっており、ケルト語とは違いがありました。ケルト語は後に、マン島語、スコットランド語、アイルランド・ゲール語へと派生します。

ガリア語は、今フランスとなっている領土の大部分で話されていました。ただし、アキテーヌ地域圏は例外で、バスク語の前身となる言語が話されていました。

フランス語に残っているガリア語はほんのわずかで(150180程度+派生語)、ほぼ全てがラテン語が語源となっています。かわいそうなガリア人。

一方、セーヌ川沿いにある、ガリアの最大都市ルテティアは今も健在で、パリのように栄えています。

3.フランス最初の王朝は一夫多妻制だった

ローマ帝国の崩壊に伴う混乱から、様々なゲルマン民族がヨーロッパ全土を移動し、新しい国を建国しました。その中で最も栄えたのがフランク人で、最盛期にはフランスの大部分と、今のベルギー、オランダ、ドイツの大部分を支配する王国を築き上げました。

フランク王国における最初の王朝はメロヴィング朝でした。この名は、半ば伝説的な人物メロヴィクスにちなんでいます。メロヴィクスの孫、クロヴィス(現代フランス語のルイにあたる)が改宗し、キリスト教徒が存在したものの、フランク王国の王が一夫多妻制を止めるには至りませんでした。

学者たちの間で、この点は議論の的となっています。国王らは今の妻と関係を片付けてから次の妻と結婚した、と主張する学者もいます。しかし、王が二人目の女性と結婚した後も、最初の王妃の名が言及される文献が多いことから、王室では一夫多妻制であった可能性が強いと言えます。カール大帝が一夫多妻制を禁じるまで、この慣行は続けられました

また、王家の髪に重要性が置かれていました。フランクの王たちは長くたなびく髪をしていましたが、これは王家の力を体現するものだと考えられていました。

4.ヴェルサイユ宮殿には入浴室とトイレがあった

「フランスの歴史に関する面白い事実」を検索すると、17世紀のフランス国王ルイ14世の時代のフランス宮廷は臭かったという情報が見つかるはずです。ルイ14世は、パリから少し離れた土地に新たにヴェルサイユ宮殿を建設します。これは、ルーヴル暮らしの幼少期に恐れたパリの暴徒を避けるのと、できる限り多くの貴族を監視するためだったと言われています。フランスでは、最大数の人が訪れる名所の一つとなっています。

新しい行政上の中心となったその宮殿はとても壮麗でしたが、衛生ではありませんでした。体を洗わない人や、尿、便が宮殿や庭園に溢れて臭かったという事実を、実際に目撃した人が書いています。

しかし、ヴェルサイユ宮殿にトイレはあったのです。

当時の人々が毎日入浴しなかったというのは本当です。水に長いこと浸かると、病気が感染すると信じられていたからです。しかし、水や香水で少し濡らしたタオルを使って体を洗うことは適切だと考えられていました。香水には衛生性に優れたアルコールが含まれています。入浴は娯楽とされ、フランス国王は自分用の浴室と、宮廷で使えるよう公共トイレを設けました。

ヴェルサイユ宮殿 ルイ14世によるヴェルサイユ宮殿建設時、衛生問題は大きな懸念で、公共トイレ、浴室、下水道が設けられた。写真提供:Jose Losada Foto(VisualHunt.com)

よって、廊下で用を足す必要はなかったのです。ヴェルサイユには300に対応する公共トイレがあったからです。客人は召使いに合図し、主人用のトイレの椅子を持ってくるよう指示することができました。

水が流れる最初のトイレが設置されたのは1727パイプを通して汚水と汚物が宮殿の外、周辺の沼地へ流されました。

では、ヴェルサイユ宮殿が臭かったのはなぜか?大きな催しでは、人々は王を目にしたいがために自分の座席(場所)を取られてしまうのが嫌で、トイレを我慢していたのかもしれません。もしくは、客人がそれらの施設について知らなかったのか。また、汚物を排出する適切な方法があるとしても、全員がそれを実践したとは限りませんよね。

フランスを訪れたら、ヴェルサイユ宮殿をぜひとも訪れ、マリー・アントワネットが暮らした場所を見てみましょう。もう一つの観光名所、ロワール渓谷の古城も見ものですが、全く景観が異なります。

5.世界中にフランス語の学校がある

フランス人は、フランス語は今も「リンガ・フランカ」であると考えたがります。リンガ・フランカとは、異なる国の人の意思疎通に使われる言語です。残念ながらフランス語はもうリンガ・フランカではありません。しかし、フランス語を話す人世界中に驚くほど多く散らばっているのです。フランス語を母国語とする国や、フランス語が公用語の一つとなっている国の人はフランス語を話します。また、フランス語の外交官や、フランス経済に関わる多国籍大企業の社員(特に出張する人)はフランス語を話します。イギリスのチャンネル諸島にすら、フランス語を話す小さな領土があります。

そこで、フランス政府は、マルティニークやグアドループ、フランス領ギアナ、その他のアフリカ諸国といった植民地やフランス領土だけでなく、世界中のほぼすべての主要都市に、フランス語で授業が行われるフランス語学校の設立を開始しました。Lycées Français(フランス学園)と、その他のインターナショナルスクールの違いは、前者はフランスのカリキュラムに従っているという点です。よって、フランス人の海外駐在員が都市から都市へと移って勤務した後フランスに戻っても、我が子が、授業を飛ばすことになったり一年間同じカリキュラムを繰り返したり、といったことがなくなりました。

このような理由で、このフランス語の学校制度は、他の外交官(国連関係者など)や、定期的に都市を移動する人などにとても人気があります。

6.フレンチトーストは、古くなったパンを生かす方法だった

「フレンチ」と名の付いた多くのものは、フランス語ではありません(英語で「フレンチブレイド」と呼ばれる三つ編みの一種は、フランス語では「natte Africaine」と呼ばれる)。しかし、他国で人気のフレンチトーストは、フランスでもとても人気があります。この伝統的なフランスの料理は、「pain perdu(失われたパン)」と呼ばれます。食べられないほど固くなったパンを蘇らせるシンプルな方法だったので、「回復されたパン」と呼ぶこともできたでしょう。フランスでは貧しい家庭でも、少なくとも牛乳と卵は手に入れることができたので、それらの材料を混ぜた中に固くなったパンを浸して柔らかくし、焼いてから、バターやはちみつを添えて食べるようになりました。

カタツムリ(エスカルゴ)やカエルの足はフランス料理に使われていますが、誰もが食べるわけではありません。フォアグラはパリ祭(フランスの国民の祝日)などの祝祭日に食べます。そんな中、フレンチトーストは、クロワッサンほど人気はないものの、フランスの基本的な朝食の一つです。

7.エッフェルは、エッフェル塔の最上階に自分用の「秘密」のアパートを作った

ギュスターヴ・エッフェルは、1889年の万国博覧会のために首都パリに元祖鉄製の塔を建てたことでよく知られます。彼は、自由の女神像が真っ直ぐ立つように鉄の骨組みを製作し、その記念碑建造プロジェクトの指揮をとった人物です。

フランス文化を代表する記念碑の一つとなっているエッフェル塔(凱旋門、ルーブル美術館のピラミッド、フランスのチーズやワインに並ぶ)は、もとは20年後に取り壊される予定でしたが、エッフェルは来客を迎え入れるのに塔の中に自分専用のアパートがあれば良いのでは、と考えました。その来客とは主に科学者有識者でした(アパートの中に、専用のミニチュアラボもあった)。彼は、何千フランもの値段で貸し出してほしいという申し出を受けても、決して貸す出すことはなかったと言われています。

このアパートは、三階プラットフォーにあり、現在は公開されています。観光客は快適な部屋に置かれたエッフェルとトーマス・エジソン(大事な客人の一人だった)のワックス像を見ることができます。

8.パリのオペラ座では、トラウトとハチを飼育している

秘密のアパートといえば…オペラ座の怪人を見たり読んだりしたことのある人だったら、パリの有名なガルニエ宮の地下室に地底湖があることは知っているかもしれません。ただし、その湖は本物で、トラウトの飼育に使われてきたということは知らないでしょう。

オペラ劇場は重厚な造りであるため、建設には適切な土台が必要となります。しかし、パリのオペラ座の地域は水面が高く、高価な小道具や衣装、背景幕などを保管していた地下室が水浸しになることが頻繁にありました。ですから、建築家が敢えてこの建物を浸水している状態にしたわけです。丈夫な石製の柱で支えられた大きなアーチ型天井のエリアは、水面が高い時には水が貯まり、その上に、物を保管するための地下室が設けられました。悲しいかな、顔の歪んだ男がかつて暮らし恐ろしい曲を書いた秘密のアパートはありません。しかし、その怪人ボックス席(5番ボックス)を借りて、国際的に評価される舞台を見ることができます。

オペラ座 ガルニエ宮の土台部分にある貯水池への入り口。ガストン・ルルーはここをオペラ座の怪人の舞台とした。出典:FR (Own work) via Wikimedia Commons

トラウトがその湖に飼育されていた時期もありました。今は違うようですが、屋根には今もハチの巣があり、オペラ座のギフトショップでそのハチミツを買うことができます。フランスを訪問するなら、ぜひガルニエ宮を見に行くことをオススメします。ツアーには貯水池の見学は含まれていませんが、大抵の場合衣装展示があり、建築も壮観です。

9.インドの一部の地域ではフランス語が話されている

フランスの歴史と植民地支配についてご存知でしょうか?そうであれば、アフリカや、カリブ海の諸島(また、カナダのケベック)などではフランス語が話されていると予想できます。けれど、インドはイギリスの支配下に置かれていたはずですよね。

それは、そうなのですが…インドのムガル帝国が崩壊し、お茶と綿による利益が期待できたことから、ヨーロッパの強国は、支配を試みました。その強国には、イギリス、オランダ、そしてフランスも含まれていました。この時インド人はというと、各地域の支配者がムガル帝国の正当な継承者の座を主張して争っていました。これにより、強国によるインド支配は妨げられるとともに、促進されてもいました。インドでは争いにより国内の力が弱まっていたため、目の前で金(ゴールド)をオファーしてくれるヨーロッパの使節や、ヨーロッパ陸軍の増員を受け入れることになったからです。

インドでの戦いは、インドの王家間の戦いだけではなくヨーロッパの強国同士の戦いでもあったのです。ウェルズリー(後のウェリントン公爵)は、この戦いの中で、初めて戦略的な経験を積むことになります。その混乱の中、イギリスが大半の勝利を収め、フランスはなんとか現在のポンディシェリとチャンダンナガルの地域を獲得・支配しました。

脱支配化の動きの中で、これら二つの地域は独立に伴いインドに譲渡されましたが、これらの二つの県では今もフランス語が公用語とされています

10.フランス国旗は王家を讃えたものである

フランス革命で最初にトリコロール(青、白、赤の花形帽章。後にフランスの国旗となる)が身につけられたとき、それは全く革命(画期)的な色ではありませんでした。
この最初の花形帽章は、パリ市の旗の色である青と赤だけでできていました。ラファイエット侯爵が、王家を象徴する白を加えることを提案しました。実際、王家の紋章には、過去のフランス国旗によく使われた青、白、赤の三色が採用されていました。

フランスの国旗 フランス国旗の赤、白、青はよくある色で、革命(画期)的ではない。写真:VisualHunt.com

「à bas les aristos!」がフランス革命の決まり言葉となりましたが、それと同時に、最初、民衆は三部会(王の都合でのみ開催された一種の国会)への十分な参加安価なパンを求めていました。民主主義へ向けた最初の襲撃は、立憲君主制の路線で行われたものでした。王の判断力のなさに加え、政治的な原理主義の台頭により貴族と同数に至るほどの革命家がギロチンにかけられたことも重なり、王は生涯自分と家族の生命の危機を恐れるようになります。

王はオーストリアへの逃亡中に捕まり(コインと横顔が似ていたことから、気づかれてしまった)、王に裏切られたと感じていたフランスの民衆は我慢の限界に達してしまいます。王は死去しましたが(君主制は次の世紀に二度再制定された)、王家の色はフランス国旗に残されることになります。但し、白はフランス王国とその人民を象徴し、君主制を象徴するのではないと主張する人もいます。

日本でのフランス語レッスンはこちらから検索できます。

 

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