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ロシア文学の繁栄

作成者 Chieko、公開日 09/08/2019 Blog > 言語 > ロシア語 > ロシア文学を学ぶ

ロシア語の発音(特に「r」の巻き舌)は魅力的だという意見は世界共通です。

特にロシア語のアクセントは、ロシア語圏の人が英語を話している時ですら耳に心地よく響きます。

ロシア語教師を目指す、ロシア旅行、ロシア語圏での研究、ロシア人との国際結婚における相手の家族とのコミュニケーション、単にロシアの文化が大好きなど、ロシア語を学習する理由は様々です。

この記事ではロシアの文化が好きだからロシア語を学んでいる人を対象として、文学の観点からスラヴ文化について解説します。

有名な作家や作品を通してロシア語やスラヴ語の歴史を見ていくうちに、ロシア語を完璧に習得してロシア語の名作を原書で読んでみたくなるかもしれません。

古代ロシアの遺産

中世ロシアは文学が発展する可能性を秘めた口承文学の土壌でしかありませんでした。当時の書物は宗教関連の文書だけで、スラヴ語(ロシアの典礼言語)で書かれていました。

この時代には、古ロシア語で書かれた法律書でも宗教関連でもない文書が初めて登場しています。

しかし文学の形態は書面だけではありません。この時期にはロシア人の家系が何世代にもわたり口承で伝えてきた物語が拡散されました。

これらの物語キリスト教、東ローマ帝国、異教徒に関する伝説が融合した民話になりました。

後に、これらの民話がロシア文学(または言葉の芸術「Словесность」)の基礎となりました。

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ロシア文学を表現するために「Литература*」ということばが使われるようになったのは啓蒙時代になってからでした(*Литератураは筆記文学、Словесностьは言葉による文学を指します)。それまで、このことばは文章を表す用語でした。

12世紀末に書かれた『イーゴリ遠征物語』で説明されているように、古ロシア語で書かれた大半の有名な作品は作者不詳です。

司祭アヴァクームは17世紀に自伝でロシア固有の口語を使ったことで、現代ロシア語への道を拓きました。彼の書物は現代ロシア語の初期の模範となりました。

この頃、ピョートル1世の母親であるナタリヤ・ナルイシキナの監督下で劇場が導入され、最初の西欧化の波が訪れました。

現代のロシア文学作品とロシア文学の最高峰

ロシア帝国は、ピョートル1世(1682-1725年)の政権下で大きく変化しました。

国が西欧化されただけでなく、国の歴史やルーツ、特に言語の研究が進みました。詩人ロモノーソフ(1711-1765年)が書いた有名な文法書はそれ自体が傑作であると同時に現代ロシア語の文法の基礎を築きました。

また、ロモノーソフはロシア初の大学も設立して、ロシア文学の礎としての役割を担いました。

ピョートル大帝の治世における新都市サンクトペテルブルクの建築物と初の新聞から、キリル文字から西方ラテン語の影響を受けたロシア語に移行する過程でアルファベットが単純化されたことがわかります。

芸術や科学が徐々に世俗化するにつれ、文学の新ジャンルが誕生する下地ができました。

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騎士道小説や冒険物語の他に、恋愛詩も台頭してきました。

書物に著されなかった物語(Повести)の中には100%ロシア語の伝説や大衆的な内容がありますが、外国の作品の優れた改作も含まれています。

登場人物には紳士や船員が多く、物語に異国情緒を出すために海外が舞台となっている多数の作品があります。

同時期に、ロシア語の詩は帝国内で興隆を極めました。

この時代には、詩人ではトレディアコフスキー(1703-1769年)、デルジャーヴィン(1743-1816年)、散文ではカンテミール(1708-1744年)、ラジーシチェフ(1749-1802年)、カラムジン(1766-1826年)、国立劇場ではソマロコフ(1717-1777年)やフォンヴィジン(1745-1792年)がロシア文学の第一波として活躍しました。

現代ロシア語はロモノーソフと彼の文法書、上記の作家たちの貢献により誕生しました。この言語は一般的に使われていた会話と教会スラヴ語の融合で、1755年にロモノーソフが『ロシア文法』の初版でロシア語を最初に標準化しました。

ロシア皇帝による外交政策により、欧州から今まで東スラヴ語圏では知られていなかった多くの新しい概念や技術が導入されました。

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19世紀ロシア文学黄金の時代

通説と異なり、現代ロシア語に翻訳されたフランスの小説をベースとしたロシア文学は、18世紀には誕生していました。

ロシア語で最初に小説を書いたのはエミン(1735-1770年)でしたが、彼は他国出身でした。

当時、彼の作品は大流行して、チュルコフ(1743-1793年)や寓話作家兼劇作家のクリロフ(1769-1844年)は彼の文字を模倣しましたが、エミンの文体は凡庸だったため今では忘れ去られています。

国民の中でも上流階級に徐々に浸透していったのはモスクワ地方語でした。

フランスと同様、ロシアのロマン主義もドイツを発祥地として19世紀前半に東方に広がりました。

この前例のない芸術運動により、各世代のロシアの天才たちが輩出されました。この黄金時代の作品は今でも新鮮で、現代ロシア文学の模範となっています。

ロシア連邦は、正教会の文化についても学べる実践的な言語習得の地です。

作家の中には現在では知られていない人物もいます。オールラウンドの作家プーシキン(1799-1837年)、西欧の作品に触発されて『死せる魂』を書いた神秘的なゴーゴリ(1809-1852年)、弊社が作成したロシアの偉人10選リストにランクインした偉大なるドストエフスキー(1821-1881年)、親仏派のツルゲーネフ(1818-1883年)、ロシアを代表する劇作家チェーホフ(1860-1904年)、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』の作者として有名なレフ・トルストイは現在でもロシア文学史に名を残しています。

ロシア語を勉強している親露派の人にとって、『罪と罰』、『白痴』、『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの名作の中でも必読書です。

哲学的側面からの彼の作品の重要性については、議論の余地がありません。彼の傑作は人間の本質を捉えています。

上記の偉人たちの他にも、ナポレオンの侵攻に対する愛国歌で知られるジュコーフスキー(1783-1852年)、 芸術家レールモントフ(1814-1841年)、古典象徴主義の詩人 チュッチェフ(1803-1873年)、著書『オブローモフ』でトルストイやドストエフスキーから高い評価を受けたゴンチャローフ(1812-1891年)、 風刺作家ミハイルサルトィコフ=シチェドリン(1826-1889年)、ジャーナリストだったレスコフ(1831- 1895年)など、知名度はありませんが才能豊かな作家が多数登場しました。

19世紀になっても詩の人気は衰えませんでした。特に形而上詩人バラトゥインスキー(1800-1844年)、従兄弟のレフほどの知名度はないがエレガントな作品を書くアレクシス・トルストイ(1817-1875年)、「芸術のための芸術」運動の指導者アファナーシー・フェート(1820-1892年)が活躍しました。

詩以外のジャンルでは他の国と同様にゲルツェン、クロポトキン、ネクラソフ、オストロフスキー、バクーニンなど政治思想色が強い作家が現れました。

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20世紀のロシア文学

ここまで、詩はロシアで最も受賞歴の多い権威ある文学ジャンルでした。

20世紀は象徴主義の最盛期と共に幕が開きました。象徴主義の代表的な詩人にはアンドレイ・ベールイ、フレーブニコフ、ヴォローシンなどが挙げられます。

誕生から2世紀を経たロシア文学は、才能溢れる多くの作家を生み出しましたが、ここで批判的な視点からロシア文学を見ていきたいと思います。

20世紀にはフォルマリズムが台頭して、多くの書誌や批評が発表されました。

ロシア文学黄金の時代と呼ばれた19世紀の最盛期の後、この期間は銀の時代と呼ばれましたが、その後、文学は断絶の時期を迎えます。

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1917年のボリシェヴィキによるロシア革命で、ロシアの国そのものの基盤が揺るがされたのです。

レーニンはピョートル大帝から受け継いだロシア語アルファベットを改正しましたが、これは革命による大変革の一部にしかすぎませんでした。

ロシア革命の一環として「国家的」芸術が確立されました。この運動に参加する意思を示さない芸術家は亡命するか、国外追放、投獄、死刑などのリスクを負うことになりました。

NEP(レーニンの新経済政策)ではオベリウーやセラピオン兄弟の運動などロシア文学の再建を許可するようになっていましたが、その後スターリンやUSSR(ソビエト連邦)の台頭により、 ロシア人作家は致命的なダメージを受けることになります。

あらゆる形態の抽象芸術は非合法となり、社会主義リアリズムが義務付けられました。作家には免許が必要となり、委員会の監督下でソビエト連邦の秩序と業績を称賛しなければいけませんでした。

幸い、サミズダート(地下出版)により作家たちは密かに執筆活動を続けられましたが、各自がリスクを負うこととなりました。ミハイル・ブルガーコフとヴァシリー・グロスマンは秘密結社の中でも最も有名なメンバーでした。
しかし、政権による度重なる脅迫や弾圧の後、ふたりとも病死しています。

ブーニン、シュメロフなど当時の偉大な作家は追放されました。サルジニーツィンは『収容所群島』で強制収容所と共産主義の闇の部分を書いた作家として世界的に有名です。当時、彼は大多数から小説家というより哲学者または預言者として評価されていました。

現在のロシア文学

ソビエト連邦の崩壊後、ロシアの文壇に再び自由の風が吹きました。

ソ連の崩壊からまだ四半世紀しか経っていないため、まだ客観的に評価できる段階ではありません。

しかし、エレーヌ・カレール=ダンコースが書いた伝記のおかげで、国家ボリシェヴィキ党の党首であるリモノフについてわかるようになりました。

エドワルド・リモノフというペンネームで知られるエドワルド・ヴェニアミノヴィチ・サヴェンコは1943年2月22日生まれのフランス国籍のロシア人作家、政治思想家、国家ボリシェヴィキ党の創立者で党首です

それでもフランス語と英語でSF小説や歴史小説を書くエレーナ・チュディノワミハイル・シーシキンウラジーミル・ソローキンなど才能のある作家の存在は明らかになっています。

確実に言えることは、スターリンの時代を経てもロシア文学の力強い生命力は途絶えることがなかったということです。

ロシアは再び自らの伝統を見直していて、今後も新しい文学ジャンルが誕生することは確実です。ロシア語を学習する人は、将来もその文学作品を読み続けるでしょう。

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