アカデミック 言語 音楽 ヘルス&フィットネス アート・趣味 職業能力開発
シェア

恋愛詩5選

作成者 Yuki、公開日 24/04/2019 Blog > アート・趣味 > > 最も有名な恋愛詩

昔から、詩は科学的真実や史実ではなく気持ちや強い感情を伝えるための文学ジャンルでした。

各時代の偉大な詩人は、ある時点で恋愛詩を書きました。ウィリアム・シェイクスピアからエドガー・アラン・ポー、ロバート・バーンズ、ジョン・キーツまで、

恋愛詩はほとんどの詩人が試みたジャンルでした。  大半の人は恋に落ちますが、詩人もこの魔法に免疫があるわけではなく、詩人は女神や恋人からインスピレーションを得て多くの韻文やソネットを創作してきました。

この記事では、中でも情熱的でロマンチックな恋愛詩を選んでみました。

『How Do I Love Thee?』 エリザベス・バレット・ブラウニング

エリザベス・バレット・ブラウニングはロマンチックな恋愛を経験して、当時で最も有名な女流詩人となりました。

彼女が初期の作品をいくつか出版した後、詩人のロバート・ブラウニングが彼女に手紙を書いて求愛を始め、ふたりの詩人は密かに結婚してイタリアに駆け落ちして、そこでずっと幸せに暮らしました。

エリザベス・バレット・ブラウニングは彼との関係からインスピレーションを得て、最もロマンチックな詩をいくつか創作しました。

『How Do I Love Thee?』は、エリザベスが望んでいなかった静かな隠遁生活から彼女を救い出してくれた夫に捧げられています。彼女が過保護な父親から解放されたのは40歳の時で、この詩には彼女が夫と過ごした16年間の幸福な結婚生活が見事に凝縮されています。

エリザベス・バレット・ブラウニング肖像画 エリザベス・バレット・ブラウニングは、作品と私生活の両面において全盛期の英国ロマン主義運動を代表する人物でした。

どのようにあなたを愛せばよいのでしょうか愛し方がいくつあるのかかぞえてみましょう
あなたへの愛は何よりも深く、広く、高く、無限の存在と
惜しみない恩寵によりこの思いが昇華されると、私の魂はたどり着くことができるのです
太陽の光の下でも
夜のろうそくの炎の下でも
私はあなたを愛しています
正義のために戦うように臆せず、私はあなたを愛しています
称賛を顧みることなく純粋に、私はあなたを愛しています
深い悲しみに満ちた想い出と幼い頃の信仰の
情熱をもって私はあなたを愛しています
息をするときも、微笑むときも、涙を流すときも、
私は全身全霊で生涯あなたのことを愛します
そしてもし神の御心に叶うならば、この世を去った後も私は
あなたを今まで以上に深く愛することでしょう

『Come Slowly, Eden!』 エミリー・ディキンソン

Come Slowly, Eden!はたった8行から構成される短い恋愛詩です。

この作品の興味深い点は、当時はオールドミスとして知られ、後に米国で最も有名な女流詩人のひとりとなったエミリー・ディキンソンにより書かれたという事実です。

彼女は人生の大半において隠遁生活を送っていて、恐らく恋人がいたことはありませんでした。しかし、彼女の詩集は謎の「マスター」に宛てて書かれた情熱的な詩が含まれています。学者は、この「マスター」は彼女にとって神のような想像上の人物だったと考えています。

エミリー・ディキンソンは隠遁生活を送り、彼女の作品が高い評価を得たのは死後でした。

そっとおいで エデン
君にふれたことのない唇が
おずおずと君のジャスミンを吸う
蜂がよろめきながら
遅い時間に花にたどりつき
花の部屋の周りで羽音を立て
ネクターを数え 部屋に入り
香油の中で恍惚となるように!

『He Wishes For The Cloths Of Heaven』 W.B.イェーツ

ウィリアム・バトラー・イェーツは最も優れたアイルランド系英国詩人および作家であると考えられています。

イェーツは1865年に英国アイルランド系の富裕層の一家に生まれアイルランドの田舎で育ちましたが、この実家は彼の作品に大きな影響を与えました。

他にも、英国の女相続人でアイルランドの政治活動家だったモード ゴーンへの報われない愛も、彼の作品にインスピレーションを与えました。イェーツは彼女に4回も求婚して全て断られ、苦い絶望を味わいました。

出会いから20年もたった後、ゴーンとイェーツは一晩限り恋人として結ばれますが、その後もプラトニックな関係としてふたりの友情は続きました。

イェーツは52歳で25歳のジョージー・ハイド・リーズと結婚しましたが、年齢差と後のイェーツの不貞にもかかわらず、幸福な結婚生活を送ったようです。

彼は波乱に満ちた恋愛を糧に多くの作品を生み出しました。彼は「芸術性の高い格式で全国民の精神に表現を与えた天来の詩作」に対して、1923年にノーベル文学賞を与えられました。

ウィリアム・バトラー・イェーツは多作で批評家たちから高い評価を得ていましたが、ことばに対する彼の才能はアイルランド自由国のために使われました。

彼の詩『He Wishes for the Clothes of Heaven』は、恋人に直接捧げる書状です。「私が金持ちならあなたに何でも与えられるのに、私はただの貧乏人だから自分の夢しかあげられるものがない」というかなり単純で陳腐な着想は、同じことばの反復と詩全体での実際の韻の欠如により素晴らしい効果を発揮しています。

イェーツはは抒情的な方法で韻の反復を用いることで、詩の陳腐さを補いました。学者たちは、この単純さこそがこの詩がこれほど有名になった理由だと推測しています。

金銀の光を織り上げて
刺繍を施した天上の布があれば、
夜と、光と、薄明かりで作った、
青と、薄墨いろと、黒いろの布があれば、
その布をあなたの足もとに広げたろうが。
だが、貧しい私には夢しかない。
私はあなたの足もとに夢を広げた。
そっと歩いてくれ、私の夢の上を歩くのだから。

『Sometimes With One I Love』 ウォルト・ホイットマン

1819年生まれのウォルト・ホイットマンは、韻律、脚韻その他の音のパターンを排除した幅広い作品から、「自由詩の父」と呼ばれています。

彼は現代アメリカ詩の創始者のひとりであり、同時代の作家に強い影響を与えました。

ホイットマンの性的嗜好については様々な説が出ていますが、彼は同性愛者(または少なくともバイセクシャル)だったというのが通説です。このため、彼は同時代の思想家からは生涯にわたり厳しく非難され、彼の作品は「キリスト教信者の間で口にされるべきではない恐ろしい罪」であると宣言されてきました。

ホイットマン自身は自分の性的嗜好を決して認めませんでしたが、多くの若い男性たちとの関係は、生存中からよく知られていました。彼の詩集『草の葉』の一部で男性への同士愛をうたった連作の『菖蒲』は、自身の同性愛を描写していると言われています。

ホイットマンの作品の一部は物議を醸しましたが、詩として解釈され、同性愛者であると最後まで確定されませんでした。

ときどき愛する人と一緒にいながら
ときどき愛する人と一緒にいながら、
わたしは報われない愛をそそいでいるのではないかと身体じゅう憤りでいっぱいになる、
だが、いまわたしは報われない愛はないと考えている、
いずれにしろかなり手ごたえはあるものだ、
(わたしはあるひとを熱烈に愛したが、そのわたしの愛は報われなかった、
でも、そのことからわたしはこういう詩をかいてきているのだ)
(木島始訳)

『Let Me Not to the Marriage of True Minds』ウィリアム・シェイクスピア

『Let Me Not to the Marriage of True Minds』という題名のソネット116番は、おそらく最も有名な恋愛詩でしょう。この詩は1609年に初めて出版され、ふたりがお互いに感じる肉体的な欲望を超えた愛を描写し、信頼と理解に基づいた強く継続的で純粋な愛の形を祝福しています。

この恋愛詩が創作されたのは数世紀も前ですが、最も情熱的な恋愛詩人としてのシェイクスピアの名を不動のものとし、エリザベス・バレット・ブラウニングウィリアム・ワーズワースウィリアム・ブレイクバイロン卿ラドヤード・キップリングその他大勢の後世の英国の詩人たちに影響を与えました。

AmazonやKindlesの人気は高まっていますが、現在でも書籍の売上は好調です。一方、電子書籍の売上は2017年に20%下がりました。

「真実の心と心が結ばれるにあたり
障害を介入させないようにしよう
事情が変われば自分も変わり 相手次第で心を移す
そんな愛は愛とはいえない
愛とは不動の目印のようなもの
嵐にあっても 決して揺るがない
愛とは船を導く星のようなもの
高さは測られようと その力は無際限
愛は時の道化ではない 愛する人の唇や頬が
時の大鎌によって刈り取られようとも
愛は束の間の時の中で変わることなく
最後の審判の日まで貫くものだ
もしこれが間違いで 私も間違っているなら
こんなことは書かないし 愛することもしないだろう」

『Here I Love You』 パブロ・ネルーダ

南米で最も有名な作家および詩人のひとりであるリカルド・エリエセール・ネフタリ・レジェス・バソアルトは、1903年にチリで生まれました。

彼は13歳の時に地元の新聞紙で自分の詩作を始めて発表しました。数年後、彼はパブロ・ネルーダというペンネームを採用しました。 

彼は早くから名声を得ました。国内最大の出版社に感銘を与えて、最初の詩集をまだ20歳の時に出版しました。

ネルーダは様々な文体で様々な題材を扱いましたが、最も有名な作品は情熱的な恋愛詩でした。また、彼は当時の混乱したチリにおける有名な政治活動家でもありました。公式な調査ではまだ結論が出ていませんが、彼が亡くなる数週間前にチリの政権を握ったピノチェット将軍が命じたものだということは良く知られています。

ネルーダの人気と影響力、チリ国民にメッセージを伝えることばの力はとても大きかったため、それが自身の死を招いたのです。

彼の最も有名な恋愛詩である『20の愛の詩とひとつの絶望の歌』は彼がまだ19歳だった1924年に発表されました。彼の作品のエロチシズムは、特に彼の年齢を含めて当時の批評家に衝撃を与えました。

初版から100年近くたった現在でも、『20の愛の詩とひとつの絶望の歌』はスペイン語のベストセラー作品に名を連ねていて、2000万部以上売れています。

パブロ・ネルーダは、最も有名な南米詩人です。(出典:hilosprimitivos)

「ここで、あなたを想う
風がほどける暗い松の森で
月は揺れる水面に金星のように輝き
あらゆる日々が追いかけっこをしている
雪は踊りながら広がり
銀のカモメが西から飛来し
時に航海する高い星空へと
ああ、船の黒い十字架よ
たった独りで
時に早く目覚め、その時でも魂は泣いている
遠くの波音がきこえる
ここは港だ
ここで、あなたを想う」

シェア

最も読まれている記事
この記事は役に立ちましたか?

役に立つ情報がありませんでしたか?次はもっと良くなるように気をつけます!充分です!他に何かありますか?ありがとうございます!質問があればコメント欄に記入してください!お役に立てて良かったです :slightly_smiling_face: (最初に投票する)
Loading...
avatar