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世界で最も有名な地理学者

作成者 Nana、公開日 11/06/2019 Blog > アカデミック > 地理学 > 有名な地理学者について詳しく学ぶ

「地理がなければ、どこにも存在していないことになる」
作者不明

有名になるのはなぜでしょうか?社会学者の研究によると、人は演技や歌などの特別な才能、その外見、あるいは現代社会に利益をもたらすその他の分野で貢献したことで有名になります。

地理学者たちは、土地、住民、そして地球の現象に関する研究で有名になりました。 

次の5人の地理学者は、地理学の分野やその他の分野で重大な発見をしたことで名を馳せました。以下、アレクサンダー・フォン・フンボルトカール・リッターイドリースィーエレン・センプルクラウディオス・プトレマイオスがどのような重大な発見をしたのかを詳しく見てみましょう。

地理学の学問分野全体を見渡したSuperprofのブログもチェックしてみてください。

アレクサンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt)

歴史 学者 アレクサンダー・フォン・フンボルトはアメリカ大陸へ航海したことで最もよく知られています。(ソース:ロチェスター大学)

「私たちの想像力は素晴らしいものでしか掻き立てられないが、自然哲学の愛好家はすべての事象に等しく目を向けるべきだ」 

1769年にプロイセン王国のベルリンで生まれたアレクサンダー・フォン・フンボルトは、プロイセンの博学者、地理学者、自然主義者、そして探検家として知られています。

学生の頃、彼は母親の影響で政治のキャリアを志し、フランクフルト大学で1787年に6か月間財政を学びました。そして1789年にゲッチンゲン大学に入学し、そこでジョージ・フォルスター(Georg Forster)と出会って共にヨーロッパの行脚に出ました。

さようなら政治のキャリア!

フンボルトがフォースターとヨーロッパを行脚して間もなく、刺激を与えてくれる人と出会い、まだ知られていない世界の一部を発見したいという欲求に火が付きました。

ゲッチンゲン大学の授業に出席している間、彼は政治学および植生地理学の講義を受けていたので、1799年から1804年にかけて行った忘れられない航海への準備が非常によく整いました。航海にはフランスの医師であり植物学者でもあるエメ・ボンプラン(Aimé Bonpland)も同行していました。

1779~1804年のアメリカ大陸への航海中、フォン・フンボルトは、今でこそキューバ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、そしてメキシコとして知られている地域を訪れました。フンボルトがこれらの地域を訪問しながら成し遂げた偉業の中には、経度と緯度を決定するためにベネズエラのカシキアレ川を上ったこと、それにエクアドルの標高6,263メートルのチンボラソ山に登頂したことが含まれます。

彼は何年にもわたって地理学および生物学的データを収集し、その調査結果は1845年から1862年の間に5巻に分けて出版された『コスモス』として知られる彼の著作にまとめられました。 

フォン・フンボルトは、植生地理学に関する研究により、現代地理学の創始者の一人と衆人に認められており、気候のパターン、地質学、そして生物学すべてが、どの植物がどの地域で生き延びることができるかを決定する上で不可欠な役割を果たすという考え方を最初に考案した人として知られています。

カール・リッター(Carl Ritter)

学者 研究 カール・リッターは、人生の大部分を地理学の研究に捧げました。(ソース:The Famous People)

「私たちの地球は星の中の1つの星に過ぎない。その上にいる私たちは、宇宙とその創造者の謎を解くことに挑むべきではないか?」

カール・リッターは1779年に西ドイツのクヴェードリンブルクで生まれ、ドイツの地理学者として高名です。フォン・フンボルトと共に、リッターは現代地理学の創始者の一人として多くの人から認められています。

有名な地理学者になった功績

リッターは1814年から1819年までゲッチンゲンで数年間過ごしましたが、そこで研究の大部分を地理学に費やしたことで、人生の方向を決定づけることになりました。ゲッチンゲンにいる間に、彼は妻のリリ・クレイマー(Lilli Kramer)と出会い、そして彼の大作『地理学』(Erdkunde)の最初の2巻を書き上げ、発表しました。 

『地理学』とは何? 

地理学』はカール・リッターの19部(21巻)の素晴らしい作品で、今日では1人の著者が書いた最も広範な地理学の文献の1つに数えられています。リッターは、地球全体に及ぶ包括的な地理学の文献を著すことを志しました。彼の研究は次の3つの部分で構成されています。

  1. 固体としての大陸
  2. 流動形態または要素
  3. 自然の三つの領域体

地理学は、アフリカ、東アジア、西アジア、アラビア、シナイ半島、小アジアの6つのセクションに分けることができます。

リッターは、地理の各側面の扱い方と見方で名声を博し(彼はそれを人体の臓器のように捉えていました)、次のように述べました。

「地理学は一種の生理学であり、地球の比較解剖学である。川、山、氷河など、それぞれが独自の適切な機能を持つ非常に多くの異なる器官である。そして、その肉体的枠組みはその人の基礎であり、その人生の大部分を決定づけるものである。そのため、各国の構造はその国の歴史的進歩の主な要素と捉えられる。地球は特定の組織を持つ宇宙に存在する個人であり、進歩的な発展をともなう独特な存在である。この地球の個性の探求こそが、地理学の仕事なのだ」。 

リッターの発見、作品、そして理論は時代を超越したもので、カントと共に、学問として地理を確立するのに不可欠でした

イドリースィー(Al Idrisi)

地図 海外 タブラ・ロジェリアナは、最も有名な中世の地図の1つです。(ソース:JohnZada)

豆知識:コロンブスが航海するずっと前に、イスラム教徒の学者イドリースィーはヨーロッパ、アジア、そして北アフリカを示す地図を作成していたことはご存知でしたか?

スペインのセウタで西暦1100年に生まれたムハンマド・アル・イドリースィーは、イスラムの地理学者そして地図製作者でした。彼はコルドバの街で勉強し、ポルトガル、ピレネー、フランスの大西洋岸、ハンガリー、そして現代のヨークを含むヨーロッパの数多くの地域へ旅に出ました。

イドリースィーは、地理学者で有名であるのと同時に、地図製作者としても名をはせています。 

彼の最も有名な作品は、1154年にシチリア島のロジャー2世(Roger II)のために描いたタブラ・ロジェリアナ(Tabula Rogeriana)です。彼はロジャー2世の王宮で18年間奉仕し、地図の解説とイラストの製作に取り組みました。地図製作の専門家の間では、タブラ・ロジェリアナはそれまでに描かれた最も先進的な中世の世界地図の1つであるという見方が大勢を占めています。

タブラ・ロジェリアナはユーラシア大陸の特徴を完璧に描き表し、アフリカ大陸の一部を図示し、そしてアフリカの角と東南アジアの詳細をわずかながら示しました。

イドリースィーはタブラ・ロジェリアナでただ有名になっただけでなく、常にあらゆる地理的な特徴、民族、社会経済的要因、描いた場所に欠かせない要素について非常に具体的な説明を加えました。

イドリースィーの作品は、イスラムの地理学者や、ヴァスコ・ダ・ガマ、それにクリストファー・コロンブスといった世界的に有名な探検家たちに影響を与えました。 

アラビア語で『Nuzhatal-Mushtaq』または和訳すると「世界横断を望むものの慰みの書」と言われる書はイドリースィーが著したもので、ユニークな地理学情報が9つの原稿に書き記され、他の多くの有名な地図製作者と地理学者から文化的に重要なものと位置付けられています。

エレン・センプル(Ellen Semple)

海外 有名 エレン・センプルは、有名な地理学者そしてフェミニストの象徴です。(ソース:Mujeres con Ciencia)

「平野の重要な特徴は、歴史的な動きのあらゆる段階を促す力を持っている点である。山の重要な特徴は、それを遅らせるか、拘泥させるか、腰を折る力を持っている点である。地球という可動域の一部として活動する人間は、空気や水のように常に引力を感じている」。

エレン・センプルは1863年にアメリカのケンタッキー州ルイビルで生まれました。彼女は1921年にアメリカ地理学会の最初の女性会長に指名されたことで非常によく知られており、非常に重要なアメリカの地理学者およびフェミニストの象徴でした。

センプルが最初に興味を抱いたのは歴史で、1882年に彼女はヴァサー大学を卒業して歴史学の学士号を取得しました。けれどもロンドンを訪れた後、彼女はフリードリヒ・ラッツェル(Friedrich Ratzel)の作品に出会い、彼女の焦点は地理学に移りました。ラッツェルの作品への興味から彼女はライプツィヒ大学に通い、そこで彼のクラスに出席する許可を得ました。彼女は500人の男性学生の中で紅一点になったのです。

男子に負けるな! 

地理学の分野での精力的な仕事には、彼女を有名にした環境決定論(物議も醸しましたが)などの数多くの発見をしました。

環境決定論とは何か?

環境決定論は、物理的環境が社会をどのように特定の方向に発展させるかに関する研究です。

たとえば、カリブ海地域の人々は熱帯気候の中で暮らしています。環境決定論者はこの環境が人々のリラックスした仕事倫理と態度を決定づける主な理由であると主張するでしょう。その一方で、カナダ、オランダ、スカンジナビア半島で頻繁に変化する気候を楽しむ人々は、より積極的で根気強く仕事をする態度につながる、と考えます。

最も有名な女性地理学者ともいわれるエレン・センプルの地理における貢献と実地研究は忘れ去られることなく、今後何十年にもわたって地理学者の卵たちによって研究され続けることでしょう。

クラウディオス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus)

学者 有名 プトレマイオスは地理学の黎明期の学者です。(ソース:Astronimate)

クラウディオス・プトレマイオスはエジプトで紀元前100年に生まれました。彼は数学、天文学、地理学、占星術の分野で大きく貢献したことで有名です。

プトレマイオスは、人生の大部分で、異なる学問分野の多くの重要な概念を研究しました。

地理学の分野では、彼が著した『地理学』(Geography)で最もよく知られています。『地理学』は、当時のローマ帝国がつかんでいた地理座標を集めたもので、その中で地図製作プロジェクトについて、そして地図製作の難しさについて語っています。

識者の多くは、彼が経度と緯度の考えを最初に編み出した人物であると考えています。また、地理的位置の製図と記録が一般的ではなかった時代に、プトレマイオスはその後何十年何百年と有用であると証明された事実を発見したのです。

彼は現代の地理学の考えを形成した地理学の真の先駆者です。

今日の記事でご紹介した地理学者が有名なのは、研究時点ではまだ知られていなかった地球の抽象的な概念を明らかにするため、職業人生を捧げたからです。

ここでは触れなかった有名な地理学者には他にも、中国生まれの米国の地理学者のイーフー・トゥアン(Yi-Fu Tuan)、フランスの地理学者のポール・ヴィダル・ドゥ・ラ・ブラーシュ(Paul Vidal de la Blanche)、米国の地理学者・地質学者・地形学者・気象学者のウィリアム・モーリス・ディヴィス(William Morris Davis)、それにプロイセン王国の哲学者で地理学者でもあったイマヌエル・カント(Immanuel Kant)などがいます。

これまで見てきたように、私たちが現在使っている地理情報は、過去の先駆者たちのおかげでもあります。どうか、地理の勉強をがんばってください!

詳しくは、以下の地理ブログもご覧になってください。

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